車に乗りこむ。
シートベルトを着け、キーを回す。
軽快なエンジン音が始まり、車全体にエンジンの微震が走る。
購入してからバッテリーは交換していない。
そろそろ替え時だろうか。
仕事場で立ち往生し、JAFに来てもらうというのはみっともなく感じた。
車に搭載されている時計を見た。
そろそろ出発の時間だ。
そう思い、アクセルを軽く踏む。
それに呼応するかのようにエンジンが唸る。
念の為、左右確認をする。
早朝なので車は通っていないだろうが、万が一という可能性もある。
右を見る。
特に何もない。
続けて左を見た。
車は通っていなかった。
その代わりに1匹の猫がいた。
アスファルトの上に座って、こちらを見ている。
この近所には結構野良猫はいるのだが、あまり見かけない猫だった。
新入りなのだろうか。
そんな事を考えつつ、仕事場へと向かった。
仕事が終わり、駐車場へと車を走らせる。
自分の駐車の所に、今朝見かけた猫がいた。
さすがにこのまま行くと猫がびっくりしてしまうだろう。
軽くクラクションを鳴らす。
猫はこちらに気付いたのか、こちらを見た。
すると、隣の空いている駐車ゾーンへと軽快に歩いていった。
車を駐車させ、車から降りた。
猫に感謝しないとな。
隣の駐車ゾーンでごろりと寝転がっているあの猫に手を振り、自宅へ向かった。
さらに翌日。
仕事から帰ると、あの猫がいた。
今度は隣の車の下に潜りこんでこちらを見ていた。
車を駐車させ、降りる。
潜りこんでいる猫に近づく。
しかし、近づいてもまったく動こうとしない。
人を警戒していない。
他の猫だったらこうはいかない。
あっという間に逃げてしまう。
すっと手を猫の前に出すと、猫は起き上がって体をこすりつけてくる。
匂いをつけているのだろうか。
この猫は他の猫とは違う。
別に猫が嫌いというわけではない。
むしろ好きな方だ。
大半の猫はなでようとすると逃げてしまうため、貴重な体験と言える。
仕事の後の楽しみができた。
そう思いつつ、猫に別れを告げて家へと向かった。
あれから数日が経過した。
猫は毎日というくらい自分が帰宅する時間を見計らって来ているようだ。
わざわざこちらに合わせてくれている。
なんとなく、デートのようだった。
しかし、たまに残業で遅れると他の住民に愛想を振り撒いている。
そういえば以前の事を思い出した。
撫でているとごろんと仰向けになった。
乳が張ってあった。
雌、それも以前産んだのだろう。
その事を思い出すと、
『時間にルーズは人は嫌い』
そう言われてるような気がした。
猫をひょいと抱き上げてみた。
抱き上げる事に慣れてないのか、わたわたと暴れたがも次第に落ち着いてきた。
頭を撫でる。
ゴロゴロと猫独特の鳴き声を発する。
幸せな気分だった。
夜中、目が覚めた。
原因は大雨だった。
それも今までに聞いた事のない雨音だった。
雨というより、滝が窓のすぐそばで落ちているようだった。
今までにこんな大雨は降った事がない。
………過去最大になりそうだな。
再び睡魔が襲い、意識を落とした。
夜が明け、空は深夜の大雨が嘘のようなほど晴れていた。
しかし、豪雨の傷跡は各所にあった。
仕事場に向かう途中、土砂崩れが起こっているのを見かけた。
普段何でもない道路には多量の泥水がたまり、さながらオフロードレースのようだった。
早朝のニュースでこの地方で雨量を計測してから過去最大の雨量とあったがまさかここまでとは…。
仕事が終わり、いつものように駐車場へと向かう。
車を止め、降りる。
しかし、何かひっかかる。
……なんだろう、この違和感。
それがわからない。
忘れ物をしたわけでもないし、どこか寄る所があったわけでもない。
それがなんなのかわからない。
ひっかかるモノを残したまま、自宅へ向かった。
翌日。
まだひっかかるモノがある。
車に乗りこみ、仕事場へと向かおうとした。
以前のように左右確認をする。
右。
そして左。
左を向いた瞬間、思い出した。
あの猫がいない。
あの大雨から。
仕事が終わり、急いで駐車場へと向かった。
駐車場に着くが、そこにあの猫はいなかった。
ふと、テレビで見た事を思い出した。
猫は死期を感じると人の目につかない処で死ぬと。
あの猫は、死んだのだろうか。
それはわからない。
死んだ姿を見ていないからだ。
あれから、車に乗りこむ時と降りて自宅へ向かう時には必ず周囲を見渡すようになった。
あの猫が、どこかにいるんじゃないかと思って。
今度見かけたら、以前のように抱き上げてやろう。
それが一生叶わぬ事だとしても。