ネメシス

コンコン。
ノックの音がした。
久し振りの訪問者だ。
最後にノックがあったのは2週間ほど前。
あのノックの主がどうなったかは興味が無い。
仕事があればいい。
他人のプライベートに触れるのはタブーとされている。
依頼人に感情を持った場合、アクシデントがある。
半年ほど前、とある同業者が依頼人に同情したのが運のツキで、命を落としたという出来事があった。
この世界において同情は死を意味する。
依頼人と依頼遂行人。
この関係で十分だ。
再びノックの音がした。
訪問者の存在を忘れていた。
「どうぞ」
「は、はい」
女の声だった。
年齢は16ぐらいといったところか。
ドアから女性が入ってきた。
16歳の依頼は珍しい方に入る。
いつもは4、50代の依頼人が多い。
「どこで俺の事を?」
16歳の女性が普通はこんな仕事人がいることを知るはずもないし、知ることもない。
「この辺りの情報屋から」
確かに、情報屋からなら知るのは簡単だ。
だが情報屋といってもこの付近にはかなりいる。
「どんな奴だ」
「頭のはげたおじさんで、前歯のない人」
「嬢ちゃん、よかったな。そいつはピカイチの情報屋だ。人を間違えてたら肉奴隷にされてたぜ」
情報屋と偽り、情報料として犯罪行為に及ぶ輩がいる。
女性の言った人物は一番信頼できる人物だ。
俺も情報を入手する時は必ずそいつを尋ねる。
「別にいいわ。もう処女じゃないから」
「ヤリ手の女か」
「…正確にはやり手にならざるをえなくなった」
「……説明してもらおう」
「少し前にポルノ法案が施行されたの、知ってる?」
「ああ、知ってる」
施行されたのにも関わらず、低年齢を犯したいという願望を持った依頼人が多い。
無論、仕事なのでちゃんと用意する。
「法案が施行された数日前、私はレイプされた」
「……1人に、か」
「ええ、下校の時に拉致されて、そいつの家に連れ込まれて、犯された」
「……」
「行為が済んだ後、私は土手に捨てられた。雨の中、泥だらけになって」
「………」
「数日後、私は警察に届を出した。けど……」
「取り合ってもらえなかったのか」
「いえ、でも……」
「犯した張本人がもみ消した、か」
女性はうなづいた。
「依頼は、そいつの殺害か」
女性は再びうなづく。
「でも条件があるの」
「条件?」
「とどめは、私に」
「別に構わん。証拠は消してやる」
「ありがとう………で、お金だけど」
「殺人依頼は100万からだ」
「あるわ」
女性はハンドバックから札束を取り出した。
偽札ではない、本物の札だ。
ふと、彼女がヤリ手であることを思い出した。
自らの体で100万を作ったのか。
「そのために、自らを汚したのか」
「いえ、その前に私は汚れていたわ」
そいつに犯されてからか。
その事は言わないことにした。
「殺害準備ができ次第、連絡する」
「わかりました」
「携帯は?」
「それでいいわ」
女性から携帯電話の番号がメモされてある用紙を受け取った。
「それじゃ、待ってるから」
女性が部屋から出ていった。
女性の後姿からには憎悪が見えた。

男の住所先は女性が覚えていた。
家もある程度覚えていたので情報屋を尋ねることは必要なかった。
それらしき家を確認した。
女性の言った通りの家だ。
町名、番地をチェックする。
間違い無い。
あとは、男がここにいるのかどうかだ。
少しの間、張り込むか。

1時間ほど経過した時、家のドアが開いた。
男だった。
女性から聞いた男の特徴と合わせる。
………間違いない、本人だ。
男の顔を見てみる。
へらへらと笑っている。
これからどこかへ出かけるのだろうか。
ふと、女性からの話を思い出した。
あの男が女性を犯している最中、笑っていた。
…レイプしているのがそんなに楽しいのか。
だったら犬か猫とでもやっていろ。
自分自身でも男のへらへらとした笑いは気に食わなかった。
家の表札を見てみる。
一家全員の名前があった。
3人家族で、おそらく左端の男の名前があの男だろう。
父親の名前を見て思い出した。
男の父親は有名な政治家だ。
個人で犯罪を揉み消すのは不可能だ。
必要になるのは地位のある人物だ。
それも特上のだ。
父親もグルか。
だが、対象は息子の方だ。
父親への裁きは息子の死で充分だろう。

4日後、彼女の携帯電話にメールを送った。
内容はこうだった。
『準備はできた。2日後にこちらへ来てくれ』

ドアのノックがした。
「どうぞ」
入ってきたのはあの女性だった。
「準備が整った。今夜にでも忍び込んで殺害する」
「わかったわ。でも……」
「安心しろ。とどめはお前がやればいい」
「いえ、そうじゃなくて、あなたは?」
おそらく、俺が逮捕される事を考えているのだろう。
「とどめをお前に任せる余裕があるってことだ」
殺人の依頼は以前にもあった。
大半は完全犯罪のため俺を逮捕するのは不可能だった。
もしくは事故に見せかけたので逮捕の心配はない。
今回も通り魔の犯行のようにすればいい。

そして夜。
今日から明日へと変わる時間帯。
2人は男の家の前にいた。
「始めるぞ」
女性はうなづいた。
門を通り、玄関のドアに近付く。
ポケットをまさぐり、ドアのロックを外すためのピンを取り出す。
この手のドアはよくあるタイプだ。
1、2分もあれば簡単に開けられる。
鍵穴に刺し、意識を鍵穴に集中する。
ピンがどこに当たるのかがわかる。
このドアはもっと奥の……。
カチン。
解除の音だ。
これで家の中に侵入できる。
ドアを静かに開ける。
キィという音を立ててドアが開く。
「靴はこの家の靴と履き替えろ。ついでに通常よりも大きいのがあったらそれにしろ」
靴の裏でどんな靴なのかが一目瞭然だ。
さらにその靴がどの店で売られているのかも判明できる。
最終的には誰がその靴を買ったのかまでもわかる。
それを回避しての発言だ。
靴を大きいのにしたのは犯人の靴のサイズをごまかすためだ。
女性はそれに従って靴を履き替える。
幸い女性よりも大きいサイズの靴があった。

1階を見たが誰もいない。
全員は2階か。
階段を上り、昇りきったあと、辺りを見回す。
部屋に続いているであろうドアがいくつかある。
男を殺害する前に、夫婦を眠らせなければならない。
まずは夫婦を探す。
適当なドアを開ける。
キイ、という音がしたが、眠りを妨げる程の大きさではなかったる
中には、うまい具合に夫婦が寝ていた。
2人一緒なら手間が省ける。
ハンカチを取り出し、ポケットから小ビンを取り出す。
小ビンには液体があった。
クロロホルム。
これを布に染み込ませ、口元に近づけると眠らせることができる。
入手も簡単な一種の睡眠薬だ。
クロロホルムを布につけ、それを夫婦の口元に乗せる。
これで当分は起きない。
あとは、男のみだ。

夫婦の部屋を出て、今度は男の部屋を探す。
開けていないドアは残り3つだった。
男が起きて騒ぐ前に男の部屋を見つけなければならない。
残りのドアのうちひとつを開ける。
居間のようだ。
見渡したが男はいない。
残り2つ。
居間を出て、残りのドアを開ける。
………いた。
どうやら寝ているようだ。
あとはこいつを殺すだけだ。
「殺し方はどうする?寝ている最中に殺すのが簡単だが…」
「…生き地獄を見せて欲しい」
……まずは激痛で起こすべきか。
拳銃を取り出し、サイレンサーを装着する。
これなら何発撃っても外から聞こえないだろう。
布団をかぶっているため、足の部分がわからないが、昼間見た時の体格を思い出す。
頭がここにあると言う事は………ここだ。
狙いをつけ、引き金を引く。
プシュ、という小さい音を出して、布団に穴が開く。
その直後、男の悲鳴が聞こえた。
うまく命中した。
男は布団をひっぺ返す。
都合が良かった。
布団がないおかげで体がどこにあるかがわかる。
撃った足は右足のようで、腿の辺りから血がどくどくと流れ出ている。
続けて左足。
再び男の苦痛の叫びが漏れる。
両足を撃たれたことによって逃げることはできなくなった。
男は手元にあった枕を投げようとした。
枕を投げられてもこちらがケガをすることはない。
だが、枕を投げる方向がこちらではなく窓に投げられると、外部に非常事態だということがばれる。
そうなればこちらが不利になる。
すかさず枕を持とうとした左腕を撃つ。
苦痛の声を漏らし、撃たれた個所を右手で抑える。
もちろんその右手も撃つ。
男が叫ぶ。
「いちいちわめくな」
すでに夫婦を眠らせているが、こうも声がでかいと起こされる可能性がある。
ポケットから眠らせるための布きれを丸めて、口に突っ込む。
これで叫ぶこともできない。
再び拳銃を持ち、今度は左肩を撃つ。
右肩。
左大腿。
右大腿。
腹部。
右腕。
再び腹部。
撃ちぬくたびに男のうめき声が出る。
あまりこのような殺し方は苦手である。
やられる方も殺されるのなら一度で殺されたいのだろう。
だが、今回は生き地獄を見せるのが義務だ。
もう一度腹部を撃つが、弾が出ない。
弾切れか。
再び弾を装填する。
あと6発、残りの一発は女に撃たせるので、あと5発。
5。
4。
3。
2。
あと一発となった。
男はもう虫の息だ。
「こんなものでいいか」
「いいわ」
「……さて」
男に近付く。
男はおびえた目つきをしている。
「ポルノ法案が施行された数日前だ」
男は一瞬、きょとんとした目をした。
まだ忘れているのか。
「数日前、お前は当時中学生を拉致し、強姦した」
男はその日の事を思い出そうとしている。
「女は泣き叫びながらお前に犯された。その女の復讐だ」
男ははっととした。
「ようやく思い出したか」
女性の方を向き、拳銃を渡す。
「弾は一発だ。きっちり頭を撃て」
「わかったわ」
女性は男に近付く。
「そういうことよ」
男は泣いていた。
女性は拳銃を振り上げ、そのまま男に殴りつける。
「あんたはその時、私が泣いていたにも関わらず、へらへらと笑いながら私を犯していた」
再び拳銃で殴る。
「ロリコン野郎……」
引き金を指に当てる。
頭を正確に狙う。
男は首を振っていた。
死にたくない。
そのように聞こえた。
「私はその時、そんな風な顔をしていたわ。でもあんたはそんな顔をしていても笑っていた」
指に力を込める。
「あの世で懺悔しなさい」
引き金を引いた。
「もっとも、懺悔しても行きつく先は地獄だけど……」

家から出ていく。
依頼は完了した。
「これで、依頼は終わった」
「ありがとう」
「これから、どうする?」
「さあ……」
女性は後ろを向き、歩き出した。
「もう…疲れちゃった」
彼女の背中には、何もなかった。

翌日の新聞には、有名政治家の息子が射殺されたとの見出しがあった。
通り魔の犯行の可能性があると書かれていた。
特に俺やあの女性に警察の手が入ることはないだろう。
新聞をめくり、ふと三面記事に目が入った。
16歳の女性が手首を切って自殺したのことだ。
……あの女性だろうか。
それはわからない。
依頼人と仕事遂行人。
この関係で充分だ。
それが、この世界で唯一生き残る手段なのだから。
コンコンとノックの音がした。
新しい依頼人だ。
今日も忙しくなりそうだ。
「どうぞ」
依頼人がドアを開けた。

後書き

今回のプロジェクト・Airはちょっと変わったものになりました。
前作の『ねがい』で今後は血の気が多い作品になりそうと言っていました。
言ってはなんですけど、このプロエアで一種のうっぷん晴らしになっているようです。
しょっぱいものを食べ続けていると甘いものが食べたくなる。
ようはこれです。
おそらく次回があった場合、『またうっぷん晴らしか』と思ってもいいと思います。
まあ次回の考案はなにも考えていませんけども。
それでは次回にて。