トントントン…。
玄関の戸を開けると、包丁で何かを切る音がした。
和「喜久子さん、ただいま帰りました」
喜「あら、和佳奈さん。お帰りなさい」
和「今日の晩御飯ですか?」
喜「ええ。いいお肉が入りましたからビーフシチューにしようと思って」
和「楽しみにしてますね」
しばらく、自分の部屋で読書をしていると、ドアからノック音がする。
喜「和佳奈さん、晩御飯出来上がりましたよ」
和「はい、今行きます」
レストランのように音楽をかける代わりに、ラジオをつける。
ちょうど料理のコーナーだった。
喜「どうぞ召し上がれ」
和「いただきます」
先程作っていたであろうビーフシチューを一口。
……妙な味だ。
酸味が目立つ気がする。
和「喜久子さん…ちょっとすっぱい気が…」
喜「あら、おかしいわね。ちゃんと味付けつたのに…お肉の方はどうです?」
喜久子に言われるままに賽の目になっている肉を一口。
…妙にじゃりっとした歯ごたえがする。
筋がひどい。
脂身がまったくなく、酸味もする。
この酸味はこの肉からだろう。
しかしこの肉、変だ。
いい肉が入っているはずなのに、この肉はひどすぎる。
だが、口から出すのは喜久子に悪いだろう。
我慢して飲み込んだ。
和「喜久子さん…これ、何のお肉ですか?かなりクセがあるんですけれども…」
喜「うーん。初めて使うお肉だから最適な調理法がないんですよ。煮込めば大丈夫と思ったんですけど…」
和「初めての…お肉?」
初めての肉。
つまり、鶏肉でも豚肉でも牛肉でもない、それ以外だ。
だが、鴨肉や鹿に馬肉はこんな味はしない。
どんな肉なのだろう。
わからないまま、もう一口。
ガツッ
何か固い。
まるで石みたいだ。
さっきの肉ではない。
とても噛み切れない。
喜久子には悪いが、たまらず出した。
喜「もう、お行儀が悪いですよ」
和「ごめんなさい、喜久子さん」
出したものは、白かった。
一瞬、骨だと思った。
だが、違う。
それは…
歯だ。
それも見覚えのある、歯だ。
瞬時に、乳歯が抜けた事を思い出した。
人間の歯
肉
人間の、肉
理解した瞬間、吐き気が生じた。
たまらず、すぐに立ち上がって流し場に吐いた。
先程口にした人間の肉も、人間の肉のエキスが染み込んだスープも。
和「はあ…はあ…」
吐き気は続くものの、出したい分だけ出した。
その直後、背筋に寒気を感じた。
喜「あら、駄目ですよ。吐いたりしちゃ。せっかくのお肉が台無しですよ」
喜久子は微笑んでいた。
だが、その微笑みは氷のようだった。
冷酷だった。
喜「まあ、頬肉とかおいしいって話がありますからちょっとの歯は入っているかもしれませんけど…ねえ」
喜久子は包丁を持っていた。
和「き、喜久子さん…」
喜「駄目ですよ、せっかく一口サイズになるまで切り刻んだのに」
ふと、自分の視界の中に何かが見えた。
そっちを見た。
そこは風呂場だ。
何かが見えた。
白っぽい何かが山積みになっているようだった。
和「どいてください!」
喜久子を突き放し、風呂場へ走った。
風呂場の戸を開けた。
そこは紅かった。
元々白かったはずのタイルが全て血に染まっていた。
染まっているというよりも、血が溜まってしまっている。
文字通り血の海だ。
排水溝には髪の毛がたまり、それが原因で血の海が出来上がっている。
足元を見た。
そこには顔があった。
顔は真っ二つに斬られているが、見覚えはあった。
梨花と美夏だ。
和「嫌ああああぁぁぁっっ!!」
叫んだ直後、ドンッと突き飛ばされ、壁にぶつかる。
その勢いで後頭部を強く打った。
意識がぐにゃりと曲がった。
立っていられず、ずるずると崩れ落ちる。
喜「いけませんよ。そんな大声出しちゃ」
髪の毛をつかまれ、ぐいっと引き寄せられる。
喜久子は、ちろり、と舌なめずりをした。
喜「おいしそうね、あなたの肉」
和「いやっ!助けて!誰か助けて!」
喜「助けになんか来ませんよ。あなたなんかのために」
喜久子がゆっくりと包丁を振り上げる。
だめだ、死ぬ。
喜「おいしく調理してあげるから」
怖い。
怖い。
誰か、誰か。
死が目の前にいる。
目をつぶった。
しかし、何も来なかった。
痛みも、何も。
そう思った直後、何かが落ちてきた。
包丁ではない、もっと大きな何かが。
恐る恐る目を開けた。
眼前には目があった。
焦点の合ってない瞳だった。
喜久子だった。
口から血を流していた。
…死んでいる。
下を見た。
胸元にはナイフの先端が見えた。
後ろから、誰かに刺されたのだろう。
上を向く。
そこには潤子がいた。
潤子「和佳奈、大丈夫だった!?あなたの声がしたから…」
助かった。
ほっとしたのか、ぼろぼろと涙が出てきた。
生きている。
その嬉しさから、潤子に抱きついた。
和「潤子さん…」
潤子「ケガは無い?」
和「はい……はい…」
潤子「そう…良かった
あなたを殺せるのが、私で」
和「え」
何かが刺さった。
痛みが襲った。
喉から何かがこみ上げる。
たまらず吐いた。
血だった。
その吐いた血の大半は潤子にかかる。
つーっと潤子の唇に血が流れ、潤子はそれを舐め上げる。
潤子「おいしいわよ、あなたの血」
どん、と潤子に突き飛ばされた。
そのまま、床に倒れこむ。
和「じゅ…んこ…さん…」
潤子「じゃあね」
潤子が何かを倒した。
倒したものから何かの液体が流れ出る。
匂いでわかった。
灯油だ。
ある程度流れてから、潤子はマッチをつけ、その流れに落とす。
灯油から火の手が上がる。
またたく間に部屋中、家中に火が点く。
その炎は、喜久子、そして和佳奈にも。
服が、腕が、そして顔が。
少し向こうにあるラジオが聞こえた。
今日のメニューは子豚の丸焼きだった。
……体中を焼かれ、死が近くへと迫る中、こう思った。
メインディッシュは、私なのだろうか。