もう一つの夏

葵「で、進展なしと」
涼「ええ、そういうことです」
葵「まあ、藤原は結構休んでるから、アプローチは無理か」
涼「……お前かて、アプローチしてないやん」
葵「………はい」
涼「綾さんと違って、和佳奈さんの方は毎日来てるんだから…っても勇気が出ないよな、普通は」
葵「何かしらのきっかけがあればなあ…」
涼「きっかけ、か………」

そしてそのまま夏休みになった。

夏休みに入ってまもなくのことである。
夜10時。
夏休みだから多少の夜更かしはいいだろう。
しかし、やる事が見当たらない。
何をしようかと考えていた時、
電話が鳴った。
手元に子機があったのですぐに取った。
葵「はい、篠原です」
男「夜分遅くすみませんが、如月ですが葵君はおりますか?」
葵「なんだ、涼か。どうした?」
涼「ああ、実はな…」

葵「へえ、チャンスじゃないか」
涼「そう言われてもさ、緊張しちゃってしょうがねえよ」
葵「夏季講習に付き合ってほしいってだけだからさ。あせる事はないさ」
涼「そう言われてもさあ……」
葵「……こちとら宮崎さんに接近するチャンスがねえんだから、まだましだ」
涼「…確かに」
葵「ま、そういうわけだ。切るぞ」
涼「ああ、じゃあな」
電話を切った。

葵「チャンスねえ……」
うまくあればいいのだが。
今日はやる事もないので街の公園に行く事にした。

木々から蝉の泣き声が響く。
確か、芭蕉の句だっただろうか。
石から蝉の鳴き声が響くようだと。
石はないが、ここでは木々が石の代わりだ。
このけたたましい泣き声が夏なのだろう。
しかし今日はやたら暑い。
テレビでは真夏日のついでに今年最高の気温と言っていた。
おとといのテレビでも同じ事を言っていたような気がする。
きっと明日かあさってのテレビでも同じ事を言うのだろう。
しばらく歩いた後、手ごろなベンチがあったので座った。
幸いここは日陰が効いていたのでありがたかった。
軽く溜息をついて、辺りを眺める。
辺りは子供達が戯れていて、他には犬を散歩している女性ぐらいだ。
……見覚えのある女性だ。
………………宮崎さん?
そういえば、住所はこの近くだった。
こちらの方に歩いてくる。
たまたま散歩の方向がこっちなのだろう。
そして彼女と目が合った。

和「篠原君……」
葵「宮崎さん……」
和「こんにちは」
葵「あ、こんにちは」
和「となり、よろしいですか?」
葵「え、ええ」
宮崎さんがとなりに座った。
葵「えっと、宮崎さんはいつも犬の散歩はここを?」
和「はい、アンフィニがここをすごく気にいって…」
多分、この犬のコーギーの名前だろう。
葵「犬にとっては、ありがたいでしょうね」
犬の方を見る。
すると、犬がこちらに来た。
結構なつきやすい犬のようだ。
葵「よしよし」
頭のあたりをなでてやる。
和「珍しいです。アンフィニが他の人になつくなんて…」
葵「あっ、そうなんだ」
和「篠原君は、どうしてここへ?」
葵「あ、葵でいいですよ」
和「それじゃ、葵君はどうしてここへ?」
葵「いやなに、今日はヒマだったもので、公園を散歩していたんです」
和「そうですか…………」
葵「…………宮崎さん?」
和「あっ、あの…あてつけがましいですけど…………時間、あります?」
葵「え?」
時間?
まあ、あるにはあるけど…なんだろう?
葵「え、ええ。ありますよ」
和「良かった…」
宮崎さんがにこりと微笑む。
……………かわいい。
いや、美人というのもあるのだが、その中にあるかわいさがたまらない。
…多分、俺はそんな宮崎さんが好きになったのだろう。
和「………葵君?」
あ、浸ってたか。
葵「あ、はい。で、何でしょうか?」
和「もし良かったら、この近くを案内してもらえませんか」
葵「案内?」
和「はい。まだここへ引越してから3ヶ月なので、まだあまり知らないので…葵君のおすすめの所を教えてほしいんです」
葵「ああ、そのくらいお安い御用ですよ」
和「ありがとうございます。それでは、早速いいでしょうか?」
葵「ええ。じゃあ行きましょうか」

あらかた俺が知っている所へ行き、説明をした。
まあ、俺も10年くらい前にここへ引越したのだ。
涼なんかは生まれも育ちもここなので涼の方がもっといいところを知っているだろう。
だが、下手をすると宮崎さんが涼に転ぶ可能性がなくもない。
あえて言わない事にした。
……卑怯かな、俺。

葵「と、まあ。俺が知ってるのはこんなもんだけど」
和「ありがとうございます。おかげで助かりました」
葵「いえ、こんなもんどうってことないさ」
和「あ、もしよろしければ、私の家で少しおくつろぎになりませんか?」
葵「宮崎さんの、家で、ですか?」
和「……迷惑、ですか?」
宮崎さんがしゅんとなった。
葵「いえいえいえいえいえ。そんなことはないよ」
和「本当ですか?」
葵「もちろん。宮崎さんのお誘いを断る奴なんていないさ」
和「ふふっ……。良かった…」

で、宮崎さんの家に着いた。
宮崎さんの家は洋風だった。
……にしても、でかいな。
俺の家の3倍はあるな。
玄関を入ると、広々としたエントランスホールがあった。
葵「へえ……すごいな」
和「そんな事ありませんよ。以前より小さいですから」
以前より……。
お金持ちというのはどうも庶民とは次元が違うようだ。
和「喜久子さん、ただいま帰りました」
すると、奥からパタパタとスリッパの音がした。
喜「和佳奈さん、お帰りなさい」
白と紺の調和したメイド服を着た女性が出てきた。
美人というよりかわいい感じだ。
喜「あ、この方は?」
和「クラスメートの篠原 葵君です」
葵「はじめまして。葵です」
喜「はじめまして。桜井 喜久子です。和佳奈さんのお世話をしています」
和「喜久子さん、冷たい飲み物をお願いします」
喜「わかりました」
そう言って、喜久子さんは再び奥へと戻った。
和「それではテラスへ行きましょう」
葵「あ、はい」

テラスへ行くと、この辺りを一望できる景色があった。
葵「わあ、いい景色だな」
和「ここの景色、一番好きなんです」
葵「へえ、近所もこうやって見ると新鮮なもんだな」
和「ふふ……」
葵「ところで、和佳奈さんの両親ってどんな人?」
俺が両親の事を聞くと、宮崎さんは少しうつむいた。
和「私が幼い頃に死んでしまって、今は喜久子さんと2人なんです」
葵「あ、ごめん……やな事聞いて」
和「いえ、いいんです。両親の事はほとんど覚えていませんから」
葵「本当に……ごめん」
和「……いえ」
……………………気まずい雰囲気だ。
しかし、その雰囲気は、
喜「お待たせしました」
によってかき消された。
ふう、良かった。
和「あ、ご苦労様」
テラスの真ん中にあるテーブルに、よく冷えた緑茶を置いた。
喜「それではごゆっくり」
葵「あ、どうも」
和「飲みましょうか」
葵「ええ」
グリーンティを口につける。
……かなりうまい。
いい茶だ。
葵「あ、おいしいな」
和「わかりますか?」
葵「ええ。お茶が好きなので」
和「私もお茶が好きなので、お茶っ葉にはこだわりがあるんです」
かなり暑かったせいか、あっという間に飲み干した。
葵「ふうっ……」
グラスをテーブルに置いた。
そよそよと涼しい風が吹いた。
この暑い時には最適な涼みだろう。
和「……葵君、やさしいですね」
葵「え?」
やさしい?俺が?
葵「やさしい…かなあ」
和「やさしいですよ……。現に案内をしてくれたり、私の両親の事を聞いて謝ってくれたり……」
葵「でも、それは男の優しさだと思うけど……」
和「実は私、引っ越す前の学校はずっと女子校だったんです」
葵「あ、成程…」
ようするに男性を知らないって事か。
父親は幼少時に死んだため、父親のイメージはなく、女子校のため男子はどんなもんかはわからない。
和「ですから…、葵君がはじめてなんです」
葵「そうだったんだ…」
和「葵君の言った通り、やっぱり男の方って優しいんですか?」
葵「まあ、例外もあるけど、大抵の男は優しいよ。それに……」
和「それに?」
葵「宮崎さん、かわいいし…誰だって優しくするさ」
和「え?」
宮崎さんは赤くなった。
頬に手をあてて、真っ赤な顔を隠した。
和「そんな……かわいいなんて」
…………ストレートに言ってもうた。
……俺まで赤くなりそうだ。
………………………………………………………………………………まずい。
すごい気まずい。
なにかこの場を直せるきっかけを……。
喜「お茶のおかわり、いかがですか?」
ナイスタイミング、喜久子さん!
葵「あ、はい、お願いします」
和「あ、わ、わ、私もお願いします」
喜「?…はい、わかりました」
この状況を唯一理解していない喜久子さんは一瞬?マークを出したが、お茶を注いだ。
………先程にしろ今にしろ喜久子さんはうまいタイミングで来てくれるようだ。
いいメイドさんがいたもんです。

夕方になった。
この時期だと6時頃といったところか。
葵「あ、そろそろ帰りますね」
和「じゃあ、玄関まで一緒に」

靴を履き、すっと立ち上がる。
和「今日はありがとうございました。私のためにわざわざ案内してくれて…」
葵「いえ、こちらこそお茶をいただいたし、涼めたし、こちらこそありがとう。宮崎さん」
和「あ、これからは和佳奈で呼んでください」
葵「え?」
和「実は宮崎って名前、『みやざき』と『みやさき』って呼び方がふたつあるので、間違えられるのは好きじゃないんです」
葵「……」
和「ですから…和佳奈で呼んでください」
葵「じゃ、じゃあ………和佳奈さん」
……名前で呼ぶのって、すごい緊張するな。
和「はい…」
葵「あ、えっと、さよなら。和佳奈さん」
和「さようなら、葵君」

自宅へ歩きながら宮…いや、和佳奈さんの事を考えていた。
…クラスメートから友達にランクアップってとこかな…。
………とはいえ、夏休みはまだ長いし、仲が深くなるってことは当分ないだろうな。

夏休みは中盤へとさしかかった頃。
電話が鳴った。
受話器を取る。
葵「はい、篠原です」
電話「あ、葵か。涼だけど」
葵「なんだ涼か。どうした?」
涼「いやなに、プールにでもいかないかと」
葵「野郎2人で行くのはなあ…」
涼「綾さんも一緒だが」
葵「……そういってもな、藤原はお前担当だろ」
涼「まだ続きがあるんだ。綾さんも友達を連れてくるって」
葵「友達?」
涼「誰だと思う?」
ふと、ピーンと何かがひらめいた。
葵「まさか、友達って………」

後書き

今回は綾の小説の裏のお話といった感じです。
和佳奈の家の実態を書きましたが、両親がいないのにどうやって引越したんだ?という質問という名のツッコミは勘弁してください(笑)。
メイドさんである喜久子さんですが、名字はほぼ定番となったジャニーズの嵐の桜井からで、名前は声優さんの井上 喜久子さんからです。
名前を考えずに書いていましたが、いざ登場で名前どうしようかと考えつつカタカタと打っている時、たまたまその日に出たヴァイスのドラマCDの声優のキャストの中に井上 喜久子さんがいたので即興で決定しました。
まあ、井上 喜久子さんの声は好きなのでまあいいか。
さて、次回はプールでの舞台になります。
しかし、ネタがひとつも…(苦笑)。
まあ、気長にやっていこうと思います。
それでは次回にて。