匂いと臭いの境界線

……………………………………………………………………………………断ればよかった…。
久々に後悔した。
まさかこんなことになろうとは。
あれは……………何日前だろう。
…………………………………………そうだ、あれは確か4日前だ。

葵「なあ涼、頼みたい事があるんだけど」
涼「何だ、頼み事ってのは」
葵「いやなに、ちょっとこっちの医学科の方で人手が足りないもんで臨時で来てほしいんだ」
涼「しかしいいのか?そういった方面は素人だぜ?」
葵「いや、そういったのはやんなくていい。標本のデータをノートに書くとか、ビーカー等を洗うぐらいの雑用だから」
涼「いつまでだ?」
葵「いや、わからん」
涼「わからんて……」
葵「ちょいと先の見えない作業だから」
涼「まさか1ヶ月とか…」
葵「そんなにはやらないよ。長くても5日くらいだから」
涼「そっか。じゃあやるよ。ちょうどヒマだったし」

そうだ。
あれが原因だ。
あれのせいでこんな事になったんだ。
手伝いは初日で終わる事はなく、徹夜になった。
そしてその徹夜は朝まで、すなわち1時限目まで続いた。
そして睡眠が取れる事がないまま授業を迎え、再び手伝い。
そしてこの日も朝まで。
次の日も。
寝た時間はどのくらいだろうか。
指を折って数えて見たが、4本の指しか折らなかった。
96時間中4時間しか寝ていない。
普段は1日に少なくとも6時間は寝ている。
………………………………………自殺行為だ。
おそらく目の下にはどす黒いまでになったクマができているのだろう。
すでに無精髭が生えている。
食事もろくにとっていない。
空腹という感覚もどうでもいいという状態になってきた。
……………………末期だろうか。
尿意を催し、トイレに向かった。

トイレからよろよろと出てきた。
…………………………………………………………………………血尿。

がらがらと研究室のドアを開ける。
その途端、むあっと異臭がした。
悪臭よりもひどい。
狂臭。
そういった方がわかりやすい。
もうこの臭いに慣れたが、昨日生徒がこの臭いで倒れ、救急車で運ばれたというエピソードがある。
葵「おう、ちょっと手伝ってくれ」
涼「ん」
葵はというとケロッとしている。
自分と同じ条件だというのに。
もちろん、他のメンバーもだ。
………………慣れてるのだろうか。

レポートを書き続ける。
いつ終わるのだろう。
涼「……………うまいみそ汁が飲みたい」
全員がうなづく。
涼「布団で寝たい」
さらにうなづく。
涼「人としてちゃんとした生活がしたい」
全員が激しくうなづく。
どうやら全員それは思っているようだ。
涼「綾さんとイチャイチャしたい…」
全員がうなづこうとしたが、ピタリと止まった。
涼「何故」
葵「最低限の生活は衣食住だろうに。女はあてはまらん」
涼「なんだよ、じゃあ和佳奈さんには会いたくないってことか?」
葵「…………ごめん、嘘つきました」
学生「まあ、こうも4日もこんな日が続くとそりゃ誰でもそういうのが恋しくなるし」
別の学生「そうそう。あとちょっとだからもうしばらくの辛抱さ」
涼「…………そのセリフ、2日前にも聞きましたよ」
学生「でも、終わりは見えたからな。あとちょいだよ」

一見、普通の会話のように見えるが、動きは異常だった。
普通はくいっと人の方を見て会話をするのだが、会話のスピードと動作のスピードが追いつかず、最初の涼の『なんだよ、じゃあ和佳奈さんには会いたくないってことか?』と葵に首を向くのだが、葵の方に首を向き終えるのに、学生の『でも、終わりは見えたからな。あとちょいだよ』の時点でようやく向いた。
まあようするに口の達者なゾンビである。

そんな状態のため、移動するにものろのろと不気味に遅い。
食料の買い出しにもコンビニが徒歩1分とかからないのに、行って帰ってくるのに1時間もかかっている。
葵「そろそろめしにしようか」
学生「そだな」
涼「あ、おれのきつねそばは?」
唯一の楽しみが食事となっている。
別の学生「はい」
ぽんっときつねそばを渡された。
涼「ああ、愛しのきつねそば様だよ…」
脳ミソも腐っているようで、妙な言葉を発した。
葵「そういや、進行状況は?」
別の学生「ああ、あと1時間もあれば終了か」
学生「よし、じゃあとっととやっちまおう」
涼「…………………そう言って、明日もあるんだよね」
後少しで終わると喜んでいる3人の他に、かなり暗いムードの男。
葵「ものすごい不信感を感じてるみたいだな……」
学生「………俺達じゃ説得はできないな」
別の学生「じゃあ、誰かに迎えに来てもらうか」
学生「誰を呼ぶ?」
葵はその適役がいる事を思い出した。
葵「よし、じゃあ綾さんを呼ぶか」
学生「ああ、恋人なら大丈夫だな」
どうやら涼と綾は学校公認カップルのようである。
別の学生「よし、じゃあ涼に知られないように電話で…」

ぷるるるるる…。
綾「はい、藤原でございます」
学生「あ、如月の友人ですけども……」
綾「涼さんがどうかしたんですか!?」
学生「ええ、まあ大丈夫ですが……」
別の意味でどうかはしている。
学生「あいつ、ちょっと一人で帰れない状態なもんで、申し訳ないですけど迎えに来てくれますか?研究室にいますんで」
綾「はい、至急そちらに行きます」

ピッと電源を切る。
学生「来てくれるって」
葵「よし、後は待つだけだ」

5分後。
ぱたぱたと音がする。
葵「………速いな」
かなり猛ダッシュで来たようだ。
学生「愛の力ってやつか」
がらりとドアが開かれる。
綾「あの……うっ」
うめき声が漏れる。
そりゃ、この悪臭に平気な人物はそうそういない。
綾「あ、あの………涼さんを迎えに来たんですけど…………」
なんとか悪臭に耐えたようだ。
学生「ああ、少々お待ちを。おーい、如月〜、恋人さんが来てるぜ」
涼「何っ!!??」
奥の方からドタバタと出てきた。
綾「………涼さん……すごくワイルド…」
髪の毛もかなり乱れてて、無精髭も生えてきているのだから、かなりワイルドなのだろう。
涼「な、何で綾さんが来てるんだ!?」
葵「ああ。もうすぐ終わるんで、迎えに来てもらったんだ」
学生「それなのにお前さんはまだ続くんだろうとかぬかしやがるから、恋人が来れば信じるだろうと思ったんだ」
涼「じゃあ、本当に終わり?」
別の学生「ああ。終わりだよ」
涼「長かった……………」
深々と溜息をついた。
葵「お疲れさん。綾さん、涼を頼むよ。結構疲れてるから」
綾「わかりました」
学生「また手伝ってくれや」
涼「………………………………それは絶対に嫌」

2人が出ていった。
学生「………お似合いのカップルじゃないか」
別の学生「がんばれよ、葵」
葵「な、なんで俺を!?」
学生「だって、宮崎とは全然進展していないんだろ?」
葵「それはそうだけど、いきなり俺と和佳奈さんの話をするのが……」
学生「だってよ、あの2人は間違いないよ」
葵「なんで?」
別の学生「なんだ、藤原の左手、見てなかったのか?」
葵「左手??」
学生「あの娘の薬指、指輪があったぜ」

綾「私の家でお風呂………入ります?」
涼「いいの?」
綾「ええ。ご褒美です」
涼「………じゃあ……………ご褒美ついでに……」
綾「ご褒美ついでに?」
涼「…………一緒にお風呂……入らない?」
綾「そ…それは………………」
途端に真っ赤になった。
綾「い、いえ…別に涼さんとは入りたくないなんて言っているわけではなくて、恥ずかしいから入りたくないというわけでもなくてその…えっと………あ……何言ってるんでしょうね……」
涼「……………………まあ、『今日は』やめておこうか」
綾「あ……はい。『今日は』やめるんですね」
涼「うん。『今日は』、ね」
綾「…………」
再び綾は真っ赤になった。

後書き

本文を見てもらうと明らかになると思いますが、この話はIF〜の中編以降の話になっています。
まだ学生生活ですので後編ではありません。
とりあえずここからは後編より前のエピソードになります。
このプロジェクトの終わりも見えつつあります。
最終話も実はある程度できています。
まあそれに行きつくまでにはまだまだです。
終わりの時期は綾と涼が結婚して少し経過した頃になります。
あんまりだらだらと続けるのも好きじゃありませんので。
次回はこの話の続きになりそうです。
それでは次回にて。