単身赴任からほぼ1ヶ月。
仕事にもすっかり慣れ、一人暮らしにも慣れた。
そもそもここの暮らしは割といい。
都会というほどにぎやかではないが田舎というわけでもない。
ほどよい町だ。
前ほど帰りたいという欲求が薄くなりつつある時だった。
仕事中、デスクの上にある電話が鳴った。
電話は個人ごとに置かれているので俺宛ての電話なのだろう。
受話器を取った。
俺「はい、もしもし」
『如月君?』
電話越しの声は女性だった。
それも聞き覚えがある。
俺「澪主任ですか?」
澪「ええ、そっちの生活には慣れた?」
俺「ええ、すっかり慣れましたよ」
澪「そう…慣れたところで悪いんだけど…」
俺「…単身赴任終了ですか?」
澪「ええ、そろそろ一ヶ月が経つしね」
俺「わかりました。必要な書類は宅急便で送ります」
一通りの報告を終え、電話を切った。
涼「ふう…」
一ヶ月の単身赴任が終わる。
最初は長く感じたけど、あっという間だったな。
一生を通してみれば、一ヶ月なんて一瞬なのだろう。
会社の人達に別れの挨拶を済まし、家に戻る。
家具等は元々あったものだし、買った電気製品はそんなにない。
テレビは携帯で見れるので無理に買う必要はなかった。
自分の家に持ち帰るものはフライパンや茶碗に皿等の食事関係だ。
宅急便でそれらを全て渡した。
全ての荷物を片付けた後の部屋は、俺が入居する前の時に戻った。
アパートの鍵を管理人に渡し、家路へと向かった。
この町ともお別れか。
わずか一ヶ月の滞在ではあったが、ちょっとした旅行で来てもいいかもしれない。
そのぐらい、この町は好きになれた。
電車と新幹線で乗り継ぎ、自分の故郷に辿り着く。
駅を出て、見覚えのある風景が目に入った。
帰ってきたんだな。
ふう。
ようやく、安堵の息をついた。
会社に戻り、とりあえず報告をしにいく。
涼「ただいま戻りました」
澪「あ、お帰りなさい」
涼「いやー、結構疲れましたね」
主任に重要書類を渡す。
澪「どうだった?初めての単身赴任は」
涼「…なんかまた単身赴任がありそうな台詞ですね」
澪「やあねえ、ほとんどないわよ」
涼「…イマイチ信じられないですね…ま、今回は色々感じさせられましたね」
澪「例えば?」
涼「うーん…一番感じたのは環境そのものが違うということですか」
澪「環境…」
涼「働く場所も違うし、働いている人も違う、住んでる場所も違うし、全てが違う。一番違ったのは嫁さんがいなかった事ですけども、まったく別人のような気分でしたね」
澪「別人、ね」
涼「あそこであった『今』は自分の『今』を再認識させてくれましたね」
澪「『今』があるから『今』がある、か」
涼「はい」
澪「その『今』をじっくり噛みしめてね」
会社を出て、家路に向かう。
あと数分で着く。
話したい事がたくさんある。
したい事もたくさいある。
でも、今一番したい事は綾に会う事。
そして、綾に話したい。
色々と言いたいけど、まず、あの一言を言いたい。
家が見えた。
そして家の前に立つ。
ドアホンを押す。
ピンポーンという音が鳴る。
その音は家中に届いただろう。
そして綾の耳にも。
足音が聞こえてくる。
戸を開けた。
見覚えのある玄関。
今まで見ていた綾。
そして、これからも。
ばっ、と綾が抱きついてくる。
それを俺は抱き止める。
そして、言いたかった一言を耳元で言った。