『S』 後編

あれから2日。
あれ以降綾さんには会っていない。
いや、正確には会う勇気がない。
……一体、どうすればいいんだろう。
……………………………。
意識がふっと飛んだ。






『おい……おい!』
『……ん…………なんだよ』
『久し振りだな』
『秋以来、か』
『ああ、そうなるな』
『で、何の様だ』
『綾さんの事だ』
『どうするべきだろうな…』
『告白するべきか、どうか、か』
『ああ……』
『もし、言ったら、どうなると思うんだ』
『卑怯、そう言うだろうな』
『なぜ?』
『だって、俺はバレンタインデーの時に返事が出来なかったんだ。その後におじいさんが死んで、悲しみに暮れている綾さんに好きだと言って、はいと返事をくれるかどうかわからないんだぞ!』
『……』
『俺は………』
『だから、告白はやめるってのか?』
『…………』
『それこそ卑怯だ』
『何だと!』
『そのまま言わなかったら、綾さんの思いはどうするんだ!』
『………!』
『綾さんは精一杯の告白をしたんだぞ!……それをお前………綾さんの気持ちを踏みにじるってのか!!』
『………そうだよな』
『…………決心………ついたか?』
『ああ………当たって砕けろだ』
『そっか……じゃ、俺はもう必要ないな』
『え?』
『秋の時にいきなりばっと現れてなんだろうと思ったろ』
『ああ』
『俺の正体は恋愛苦悩症、つまり恋の悩みってやつさ』
『ってことは恋に落ちて悩む時にしか出ないのか』
『そういうことだ。まあ、もう二度と現れないことを祈るよ』
『え』
『また現れる時は、再び恋をする事。つまり、綾さんにフラレるって事さ』
『……そうか』








気持ち…………………………か。
目が覚めた。
そして俺は受話器に手を伸ばした。








翌日。
近所の公園に綾さんを呼び出した。
俺は綾さんを待った。
………俺は綾さんの気持ちに応えるべきだ。
綾さんが来た。
綾「ごめんなさい…お待たせしてしまって……」
涼「いや、俺もさっき来たばかりだから」
綾「それで、お話って?」
涼「うん……実は………バレンタインデーの事だけど」
綾「…………」
涼「ありがとう」
綾「…」
涼「初めて会った時からずっと思ってた。好きだと」
綾「え…」
涼「愛している、綾さん」
綾「………」
綾さんの涙からつうっと流れた。
綾「卑怯ですよ………」
涼「………」
俺が想像していた事だ。
ショックはひどくはなかった。
だが、綾さんの涙を見て胸が締めつけられるような気分だった。
綾「こんな時に言うなんて………最低」
最低、か。
そうだろうな、普通は。
涼「けど、綾さん、よく聞い」
綾「どうしてですか」
俺が言おうとした時、綾さんによって止められた。
綾「どうして、あの日に言ってくれなかったんですか…」
あの日とは多分バレンタインデーの日だろう。
綾「私が………私が…っ……」
嗚咽が漏れる。
言葉も出ないようだ。
綾「うっ……ひっく……ぐす……っ…」
俺は綾さんを抱いた。
もう綾さんの泣き顔を見るのは苦痛だった。
綾「い……や……離して…」
涼「俺があなたを幸せにする」
絶対にだ。
俺は綾さんにキスをした。
綾「……っ!」
キスをした途端、口に痛みを感じた。
綾さんが俺の唇を噛んでいるのだろう。
だが離す気はなかった。
痛みは段々となくなり、その代わりに熱い何かが流れた。
その何かは次第に流れる量が多くなった。
血だ。
だが、綾さんの受けた傷はこんなもんじゃない。
綾さんが受けた傷の方がはるかに痛い。
肉がちぎれても構わなかった。


息が苦しくなり、離した。
その瞬間、どんっと綾さんが突き飛ばした。
非力ではあったが、離すには十分な力だった。
綾さんは泣いていた。
怒りの表情が見えた。
が、俺の顔を見た直後、驚きに変わっていた。
そして再び泣き顔に変わった。
今度は綾さんが俺に近付いた。
そしてキスをした。
綾さんの唇が当たったのは俺の口ではなく、正確には下唇だった。
先程のキスで綾さんが噛んで血を流した所だ。
余計な血を吸い、舐め取る。




それをしばらく続け、血がある程度止まった。
綾さんは少し離れた。
綾さんの顔を見てみる。
すでに拒絶、怒りは見えなかった。
綾「どうして……」
涼「え」
綾「どうして、怒らないんですか」
涼「……」
綾「どうして、どうして…」
涼「それは、あなたがこの傷よりもひどい痛みを知っているからだよ」
綾「……」
涼「その痛みは長い年月をかけて癒さなければならない。いや、治らないかもしれない」
綾「………」
涼「その傷を俺はなくしたいとは思っていない」
綾「涼さん……」
涼「一緒に乗り越えよう。その傷を」
綾「涼さ…ん……」
綾さんの顔は泣き顔に変わっていた。
俺は再び綾さんを抱いた。
今度は拒絶はなかった。
綾「変ですね………昨日、あれだけ泣いたのに、また泣いてるなんて……泣き虫ですね、私………」
涼「ううん…、昨日は悲しくて泣いて、今日は嬉しくて泣いているんだよ」
綾「そうですね………」
綾さんが顔を上げる。
綾さんは泣くのをやめていた。
もう大丈夫ですよ、おじいさん。
彼女は強くなれた。
涼「愛してるよ、綾さん」
俺は再びキスをした。





1年後。
線香に火をつける。
線香を墓に供え、手を合わせる。
しばしの黙祷の後、溜息をついた。
もうあれから1年経った。
月日というのは早いものだ。
あれ以降、綾さんはおじいさんの事で泣くのをやめた。
おじいさん、綾さんは強くなれました。
だって、綾さんは俺に精一杯の告白をしてくれたんですから。
俺はおじいさんの墓に微笑んだ。
墓場で笑うのは失礼だと思ったが、この場合、笑うべきだろう。
隣には綾さんがいた。
まだ綾さんは拝んでいた。
どんな事を考えているのだろうか。
そして綾さんも拝むのをやめた。
涼「行こうか、綾さん」
綾「はい」
綾さんは俺に向かって微笑んだ。


後書き

……ceres氏には見せたくない代物ですね。
キスシーンは実は他のお話の時に使おうと思っていたのですが、そちらの話はあまり面白くないのでキスシーンを保管しておきました。
番外編だからこういうのはアリだと最初は思っていましたが、やはり番外編でもキツイですね。
悲しませるということはある種のいじめになりますからね。
今後このような悲しませるお話はおそらくないでしょう。
やはり俺の綾の小説のスタイルはほのぼのなんでしょうね。
次回作、というより今後は番外編と、5年後シリーズが中心になると思います。
微笑ましい作品ができればいいなと思います。
それではまた次回にて。