夕暮れになる頃だった。
綾の母「こんにちは、綾」
綾「あっ、お母さん、こんにちは」
綾の母「涼君は、お仕事?」
綾「ええ」
綾の母「そう…」
綾「………お母さん?」
綾の母「……この話、涼君には内緒ね」
綾「え?ええ…」
綾の母「……涼君……夫に似てるの」
綾「えっ?」
綾は驚いた。
綾の父親は綾が生まれる前に死に、綾にとって父親というのはどんな存在なのかわからなかった。
そして今、父親の事を初めて知った。
綾「そんなに、似てるの?」
綾の母「容姿とかは似てないけど…雰囲気は似てたわ。一生懸命で、純粋で……」
綾「……」
確かに、そういった部分は涼さんにもある。
綾の母「きっと、そういう所があったから、お父さんも結婚を許したと思うわ」
綾「えっ?」
綾の母「実はね、私と夫も今のあなた達と同じ頃に、同じ様な恋愛があって……やっぱりお父さんと話したわ」
綾「それで、お父さんも結婚を許してくれたの?」
綾の母はうなづいた。
その顔は暗かった。
綾の母「結婚して、妊娠して……でも…あの人は綾を見る前に死んでしまった……」
綾「お母さん……」
綾の母「死んだ時はつらかった…あれほど死にたいと思った事はなかった……でも」
綾「でも?」
綾の母「あの人が死んで、2週間くらいかな…夢に、出てきたの」
綾の母は天を仰いだ。
綾の母「夢の中で私は泣いていた。意味も無く泣いていた。泣き崩れている私に、あの人は手を差し伸べてくれた」
綾「………」
綾の母「私が手を握った瞬間に目が覚めた。その時、私は決心した。私はあの人の分まで生きようって」
綾「…」
綾は泣いていた。
もらい泣きである。
綾の母「こら、泣かないの」
綾の母は指ですうっと綾の涙を拭った。
きっと、涼君は綾のこんな優しさに惚れたのだろう。
綾「でも、どうして今、お父さんの事を?」
綾の母「春香が生まれたから、かな?」
綾「え?」
綾の母「春香がもし、私や綾と同じ恋愛をしたら、おとぎ話みたいに伝えたいの」
綾「……どんな風にですか?」
綾の母「私の彼はこんなにも愛していたって」
綾「ノロケですよ」
綾の母「ふふ、そうね」
綾の母はぽんと肩を叩いて、
綾の母「涼君をこれからも愛してね」
綾「はい…」
綾はにこりと微笑んだ。
あの人は私のどこに惚れたのだろう?
きっと、涼君と同じようにあの人は全てを愛していたのだろう。
そういえば、少し気になったことがある。
綾の母「ねえ、そういえば春香って名前、どっちが決めたの?」
綾「涼さんが決めました」
綾の母「涼君が……でもどうして、春香って名前を?」
綾「涼さんが言うには、春のような暖かさの香りを持った素敵な女性、だそうです」
綾の母「……涼君はどうして春にしたのかしら?」
綾「ふふ…、私と涼さんが出会ったのが春だからですよ」
綾の母「なるほどね…涼君らしいわ」
その時、後ろから声がした。
涼「ただいまー」
綾「あっ、涼さん。おかえりなさい」
綾の母「おかえりなさい。涼君」
涼「あれ、母さんもいたんですか」
綾の母「ええ、少し暇でしたから」
涼「そうですか」
綾の母「それじゃ、私はそろそろ夕飯の仕度をするから」
綾「はい」
綾の母は帰ろうとし、涼に近付いた。
綾の母「綾を、大切にね」
涼「え?あ、はい」
綾の母は涼と入れ違いに帰っていった。
涼は頭をかきながら、
涼「大切に、か……」
綾「どうかしましたか?」
涼「ん……母さんが綾を大切にしろって………いきなりなんだろ」
綾「ふふ……」
涼「………?」
夕暮れが、少しずつ夜へと変わっていく。
そんな日のある事だった。