昼御飯が済み、のどかな時だった。
涼「母さん、こんにちは」
綾の母「あら、涼君。どうしたの?」
涼「ええ、ちょっとヒマだったもんですから」
綾の母「綾と春香は?」
涼「お昼寝の時間です」
綾の母「そう…」
涼「と、いうわけでお茶でもしません?」
綾の母「あら、綾に言いつけますよ?」
涼「母さんに手ぇ出す程飢えてはいませんよ」
綾の母「あらあら、私って…そんなに魅力ないの?」
涼「い、いえ、そういうわけでは」
綾の母「ふふ…」
涼の言う通りなのかもしれない。
綾の母はとても40代には見えない。
どう見ても25、6ぐらいだ。
下手をすると綾と姉妹のように見える。
綾はスレンダーではあるが、一方綾の母は綾よりもスタイルがいい。
そういえば祖母の写真を見させてもらった時があったが、かなり若く見えた。
もしかすると遺伝なのかもしれない。
そうなると綾もしばらくは綾の母と同様に老ける事はないのだろう。
綾の母「まあ、そういうのは綾が頑張ってくれるから問題ないわね」
涼「まっ昼間からそういう話は…」
綾の母「ふふ……」
どうも綾の母にはそういう話では勝ち目がない。
年期の違い。
平たく言うとそれが毎回毎回涼の敗北の原因なのだろう。
涼「と、とにかく今日は下ネタは無しですよ」
綾の母「それじゃあ、何の話を?」
涼「………やる事がないから母さんと何か話そうとしてたんで、特に何も……」
綾の母「……それじゃあ…綾の事、話してくれる?」
涼「綾の、ですか?」
綾の母「もう結婚して、春香が生まれて5年経ったし、そろそろ綾への意識が変わったんじゃないの?」
涼「意識…………そう言われても、相も変わらず愛してますが……いや、以前よりもいとおしくなりましたね」
綾の母「それは…いつの?」
涼「綾が交通事故で意識不明の時です」
不意に涼はその時の事を思い出した。
目の前が真っ暗になった。
絶望というのはこんなにも酷だというのを痛感した。
綾のいない世界。
それがあまりにも辛かった。
それだったら、死んだ方がマシだった。
だが、それはおじいさんに止められた。
綾が死んだわけではない。
もし俺が死んだら、綾を悲しませることになる。
綾を悲しませる。
それは、俺が最も嫌う行為だった。
事故から一ヶ月が経った時、綾は意識を取り戻した。
あの時からだろう。
二度と別れたくない。
この思いが強くなったのは。
綾の母「ごめんなさい……嫌な事思い出させて…」
涼「いえ、むしろ……綾にはすまないけど感謝しています」
綾の母「……」
涼「もし、あれがなかったら……綾への思いが薄れて……どうなったか…」
綾の母「……」
涼「…あ、すいません。しんみりさせて…」
綾の母「じゃあ……今は、どう?」
涼「今、ですか……?」
綾の母「愛してるというのはもうわかりきった事だから……行動で表してみて」
涼「行動で、か…………じゃあ母さん、ちょっと失礼」
綾の母「えっ?」
きゅっと抱いた。
優しい抱擁ではなかった。
けれども強くもない、丁度いい強さだった。
抱かれる女性を意識しての抱擁だった。
それだけ相手を思っての抱擁だろう。
綾の母は心地良かった。
抱かれたのは、父親である信蔵と、夫だけだ。
二十数年振りの抱擁はなつかしさを感じた。
やはり、夫と似ている。
相手をいたわる優しさがそっくりだ。
目と目が合う。
綾の母は涼を間近で見てどきっとした。
よく見てはいるが、こんなに間近で見たのは初めてだった。
顔が赤くなっているのがわかる。
きっと綾もこういうことをされたら同じようになるのだろうか。
ゆっくりと涼が近付く。
キスをしようとしている。
それはできない。
義理とはいえ親子の関係だ。
それに妻子持ち。
だが、拒もうとはしなかった。
……惚れたのだろうか。
夫に似ているから?
いや、似ているというよりも、そっくりと言った方が近い。
夫になら、されても構わない。
すでに思考は狂っていた。
唇と唇の距離が5センチへと近付いた、その時だった。
涼「と、まあ…、こういう感じですが」
すっと涼が離れた。
綾の母は呆然としていたが、我に帰って真っ赤になった。
綾の母「え、あ、はい…」
涼「ふふ、ドキッとしたでしょ?」
心の内を読まれたようだった。
顔が熱い。
涼「言わなくてもいいですよ。顔は口ほどにものを言いますから」
多分、真っ赤になっているのだろう。
ことわざの言葉が違うが、この場では合っているような気がする。
綾の母「や…やあね、娘の夫にどきどきするなんて」
涼「乙女ってそんなもんですよ」
綾の母「……やあね、もう」
少し夕焼けになってきた。
涼「…このこと…綾には内緒ですよ」
綾の母「……どうしようかな…」
涼「えっ!?」
綾の母「ふふ、冗談よ。それに…」
涼「それに?」
綾の母「綾だったら、きっと許してくれると思うわ。それにしてないし」
涼「……まあ、確かに」
綾の母「それに、あの子はあなたを信じているから」
涼「……」
綾の母「………でも、そのまましてくれた方が面白くなりそうだけど」
涼「か、母さんっ」
綾の母「ふふ、冗談よ」
すっかり辺りは赤く染まった。
涼「そろそろ、綾と春香が起きる頃ですので」
綾の母「ふふ、今日は楽しかったわ」
涼「あ、綾には内緒ですよ、ほんとに」
綾の母「大丈夫。あの子は知ってもちゃんとわかってくれるわ」
涼「…確かに」
綾の母を愛したわけではない。
愛しているという言葉を行動で表しただけである。
涼「それじゃ、さよなら」
綾の母「さようなら、涼君」
そして夜。
涼「綾」
綾「はい?」
涼「もし、だけどさ…もしだよ。ちょっとしたトラブルで、綾の母さんを抱いたら……怒る?」
綾「……………いいえ」
涼「やっぱり、トラブルだから、か?」
綾「ですね、それに抱擁だけですし」
涼「………」
綾「……涼さん?」
涼「いや、実は…」
俺は先程のことを綾に話した。
涼「…怒る?」
綾「いえ、それは都合でそうなったんですから、その気がないんですから、怒りませんよ」
涼「ごめん、綾」
綾「……でも、そういうのは私だけにしてくださいよ」
嫉妬、か。
涼「もちろんさ」
綾をきゅっと抱く。
先程の母を抱いたように。
涼「痛い?」
綾「いえ、ちょうどいいです…」
気持ちのいい抱擁だった。
そのまま涼に身を任せた。